ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(英語: Henry Alfred Kissinger、1923年5月27日 - 2023年11月29日)は、アメリカ合衆国の国際政治学者、外交家。ニクソン政権およびフォード政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官を務めた。1970年代のアメリカの外交政策に大きな影響を与え、東西冷戦で対立していたソビエト連邦とデタント(緊張緩和)を推進しつつ、ソ連と対立していた中華人民共和国との国交樹立を極秘で交渉し、1972年のニクソン大統領の中国訪問と米中関係正常化に道筋をつけた。ベトナム戦争からの米国撤退を決めた1973年のパリ和平協定でノーベル平和賞を同年受賞した。
ドイツでヴァイマル共和政時代の1923年に生まれ、ナチス政権のユダヤ人迫害から逃れて1938年に米国へ移住。第二次世界大戦中の1943年に米国籍を得て、従軍して故郷ドイツへ渡った。帰国後の1947年にハーバード大学に入って国際政治学の博士号を取得し、教授として働いた。
彼の政治キャリアは、ニクソン政権で1969年に国家安全保障問題担当補佐官として始まった。ウォーターゲート事件によりニクソンが1974年に大統領を辞任し、副大統領から昇格した、同じ共和党のフォード大統領の下でも政権に留まった。民主党のジミー・カーター大統領就任(1977年)に伴い政府の要職を退いたが、その後も晩年まで外交について活発な発言や大統領への助言、著述を続けた。
キッシンジャーは、リアリズム(現実主義)に基づく外交政策の擁護者として知られている。彼の外交政策は、アメリカの国益と力の均衡を重視し、理想主義よりも現実主義を優先することで知られている。彼の政策はしばしば論争の的となり、戦火の拡大や人権侵害を招いたとして、ベトナム戦争のカンボジアへの拡大、チリ・クーデターとそれに伴い成立した軍事政権による弾圧(コンドル作戦)、インドネシアによる東ティモール侵攻を推進・容認したという批判がある。
キッシンジャーは、1973年のノーベル平和賞を受賞したが、この受賞は当時から現在に至るまで物議を醸している。彼は現代の国際政治における重要な人物であり、その遺産は今日も多くの議論の対象となっている。